社会的責任
いわゆる適齢期の頃、私には結婚願望がなかった。
しかし、世間はそんな気持ちなどおかまいなしで、面倒な思いもした。
なので、ある時から
社会的責任を果たせていなくてすみません と言うようにした。
そうすると 「いやいや、そんな・・・」と。
それ以降、結婚については、何も言われなくなった。
この言葉は、面倒なやり取りから解放される言葉かも知れないと思った。
そして、子どもがいないと、これまたいろいろと言われることがあるので、
ここでもまた、社会的責任を果たせていなくてすみません と言った。
そうすると、やはり、子どもがいないことについては、それ以降、何も言われなくなった。
私にとって
社会的責任を果たせていなくてすみません は
社会が望むことに、反していてすみません である。
この気持ちは
自分の気持ち全てではないが、嘘ではない。
結婚も、子どもを育てることも社会が望んでいる。
それは、生涯未婚率なる統計の取り方からも感じる。
結婚も出産もその他のことも、自由にしていいはずなのに
謝らないとおさまらないのは、何かちょっと辛い。